8月15日
今日も暑い一日でした
こんな日はゴロンと横になっていたほうがいいと思うのですが
意外に朝からイロンナコトをしてしまいました
そのくせ「夏休みになったらアレしなくっちゃ」と思っていたことには
チットモ手をつけていません
さて、夏休みも明日一日を残すばかり
宿題を抱えた小学生の気分です (^^ゞ
今日も暑い一日でした
こんな日はゴロンと横になっていたほうがいいと思うのですが
意外に朝からイロンナコトをしてしまいました
そのくせ「夏休みになったらアレしなくっちゃ」と思っていたことには
チットモ手をつけていません
さて、夏休みも明日一日を残すばかり
宿題を抱えた小学生の気分です (^^ゞ
さすがにこの写真は
iPod touch 本体の画面キャプチャ機能では撮れんかった
この暑さの中、資料を探しに図書館に行ったら閉館日だった
金曜日だから開いていると思って行ったのに...ぐすん
1978年、というとワタクシが20歳だったわけですが
その年は特に意図したわけでもないけど
2月には日本最東端の東根室駅、8月には最西端の平戸口駅に行くという
日本列島をまたにかける、と言いながら
実は北海道と九州にしか行かなかったのでありました
あとは近隣をチョコチョコ、11月には九州再訪
で、このときワタクシは録音機を携えて旅行をしていたのですね
録音機と言っても今みたいに胸ポケットに入るようなものではなく
ノートPCを2台重ねたような大きさのテープレコーダーと
手持ちのステレオマイク、何本ものカセットテープと予備の乾電池を持って
厳冬の北海道や酷暑の九州を旅していたのです...よくやったもんだと感心します (^^ゞ
旅行中の宿泊はほとんどユースホステルで
当時は「ミーティング」と称する宿泊者が一堂に会する交歓会が夕食後に催されていて
これが厭だと言う人もいたけど、逆にこれこそが楽しみと言う人もいたのですね
...60年代70年代は後者が多かったもので、一部の民宿でも真似していたものです
ワンダーフォーゲルや歌声喫茶の流れでしょうね
前置きが長くなりましたが
8月の九州で泊まったホステルのミーティングが「花火をやろう」ということで
そこは町中の小さなホステルでしたから近所の川原に行って
行く途中のおもちゃ屋で買った花火を楽しんだわけですね
昨日、上信越道・関越道を走っていて
上里SAでちょっと遅めの昼食をとるつもりだったのですが
そうだ、その手前の藤岡PAがハイウェイオアシスになっていて
クルマを残したまま隣接の道の駅『ららん藤岡』が利用できることを思い出し
そこで何か食べてゆこうと思ったわけです
この判断は正解でした。上里SAは混んでましたから
『ららん藤岡』は中央に噴水の広場があり
見て楽しむだけではなく、噴水の中に入って水と触れ合えるのですが
それとは別に仮設のプールができており、こんなことをやっていました