帰り道
ライブが終わって駅に行くと
こんなポスターが貼ってあった
...JRも抜け目ない
新宿からは、グリーン車を奮発
2階建て車両の下の席に座ると
駅に着くたびに目の高さにホームが...
すぐ目の前を歩かれると
思わずのけぞって避けようとしてしまう
...で、肝心のライブの感想ですが
明日にはアップしたいと思います(希望的観測)
ライブが終わって駅に行くと
こんなポスターが貼ってあった
...JRも抜け目ない
新宿からは、グリーン車を奮発
2階建て車両の下の席に座ると
駅に着くたびに目の高さにホームが...
すぐ目の前を歩かれると
思わずのけぞって避けようとしてしまう
...で、肝心のライブの感想ですが
明日にはアップしたいと思います(希望的観測)
毎日仕事に向かう車窓から、畑の隅や民家の庭先など
「あっ、きれいだな」と思う景色によく出会います
この時季ですと、やはり花を咲かせた木々に春の息吹を感じるわけですね
平日は忙しく走り過ぎてしまうので
先日の日曜日(15日)、カメラを持ってぶらぶら出かけてみました
ところが...
いざクルマを降りてカメラを構えると
車窓からサッと眺めたときの感動が湧いてこないんです
「???」
理屈をこじつけてみると
車窓から走りながら見るというのは
大きな景色の中の一部として見ているわけですが
クルマを停めると、どうしても「それ」を中心に見てしまう
ましてカメラを構えたらファインダーの枠の中で構図を意識してしまうから
バランスが悪いだの電線が気になるなど、こちらの「欲」が出てしまって
「あっ、きれいだな」と最初に思った気持ちが無くなってしまっているのではないか
...と考えてみたわけです
クルマを走らせていて視野の中にいきなり飛び込んできたものを素直に感じる
その感動を伝えられる写真を撮るって...ムズカシイですよ、これは
仕方ないから
とりあえずは「美しく見える」写真を撮ってゆくしかないのかな
昔、川のほとりに蕎麦と麦が一緒に暮らしておったそうな。
ある冬の寒い日に、旅の坊さまが近くを通りかかり、冷たく流れの速い川を、どう渡ろうか困っておったんじゃと。
坊さまは蕎麦と麦が住んでいる家の戸を叩き「お願いだから川を渡るのを手伝ってくれないか?」と頼んだんじゃが、麦は知らん顔。見かねた蕎麦が「お坊さま、私が背負ってあげましょう」と、坊さまをかついで川を渡してやったそうな。
蕎麦は足元が冷えて真っ赤になり、今でも蕎麦の茎の下が赤くなっているのは、その名残じゃそうな。
一方、無視した麦は、それ以来冬になると「麦踏み」といってお百姓さんに頭をギュウギュウ踏みつけられるようになったそうな。
この話、いくつかバリエーションがありますよね
語り継がれるうちに、少しずつ変化したのでしょう
上の写真は、こないだの日曜日(1日)に
サスケと散歩していて見かけたものです
最初は何やってるのかなぁって思ったんですよ
麦踏みって言えば、後ろに手を組んで
イチニ、イチニって足踏みしながら横にずれてゆく...
そんなイメージがあったもんでね
今はそんな悠長なことやってられませんよね
近所の軒先に、こんなものがあるのを見つけました
いやぁ、碍子っていうと白いものだとばかり思い込んでいましたが
こんなふうに色が付いたのもあるんですね
気づいた後で注意して上を見ながら歩いていると
結構あちこちの家で使われていました
ワタクシが見かけたものは藍色でしたが
このサイトを見たら、何種類か色違いがあるようです
...さすが中国、こういうところに伝統を感じます
最近の喫煙家(たばこのみ)は
落ち着いて一服つける場所を追われただけではなく
銘柄を選ぶ自由も無くなったらしい...